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柔軟な心:コムロウ氏のエッセイから

英文タイトル: From Retrospectroscope: Flexible Minds

しばらくぶりに、コムロウ氏の Retrospectroscope を扱います。その42号は「柔軟な心」("Flexible Minds") と題して、一人の研究者が一つではなくて多方面に業績を残している例を紹介しています。ところで、この Retrospectroscope の文章はATS(アメリカ胸部疾患学会) のホームページに載っていますが、その後国立医学図書館にも移管され、現在のURLはhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/382933"のほうがアクセスしやすいようです。

三つの表としてまとめると
文章は、まず表1を示して「この18人の名前を挙げて、『業績を述べよ』と注文したら、読者はかなりいい線で回答できるだろう。でも、『他の業績は? 他にも同様に偉大な業績があるのだが』と訊ねられたら答えに窮するかもしれない」という文章で開始し、そもそも「研究者の業績は一つだけ残って、他は忘れ去られる傾向が強い」とのべ、「レオナルド=ダヴィンチのような例外も少数はあるが」というのが前置きです。
そこから、この18名の業績を一人一人詳しく述べて業績を紹介しており、それがこの文章のメイン部分です。その詳しい説明自体は読者に読んでいただくとして、ここでは18人の別の業績をコムロウ氏の記述にしたがって表の形にまとめました(表2)。つまり、原文には文章で述べられている事柄を、筆者が表に直しました。さらに、その中で特に詳しく述べているハッチンソンの肺活量測定の対象となった被検者のリストを表3としました。原文の表2です。
こうした紹介が済んで、「おわりに」としてこんなことを述べています。「研究者として開始した領域にずっと留まった人たちもいるだろう。しかし、前に(" Retrospectroscope"の7番、"How to Make Hasenpfeffer":諏訪の訳書では10章「猪鎬で一杯やる法」) 論じたように、領域を途中でかえた「転換者」 (“switchers”) のほうが多い。本リストにはノーベル賞受賞者が4人(ランドスタイナー、アイントーヴェン、クロー、フォンオイラー) いるが、その全員が転換者である。科学にはいろいろのタイプの人が必要で、理論家・方法の開発者・応用者・革新者・確証者・拡張者・修正者・疑問提出者・旧理論の否定者などおり、研究の目標をあまり厳しく細かく規定するのは疑問である」と。
さらに続けて、「転換者と『飛び回り者』(“flitters”) は違う。後者は、リーダーではない。しかし、真の「転換者」となるには、広い領域での基礎学習が必要であり、それ以上に「学ぶ意欲」が必要で、もちろん指導者・年長者がそれを督励することも必要だ」と主張して文章を閉じています。

コムロウ氏の例へのコメント
このコムロウ氏の文章を読んで、気づいたことをいくつか加えます。まず単語のことで、“flitters”の“flit”は蝶が花から花へと飛ぶ意味で、辞書には“flitters”に「夜逃げする人」との意味も載っています。さらに、この“flitters”に対して、コムロウ氏は '“me too” scientists' と “mopper-uppers”という用語を奉っています。'“me too” scientists'は「私もやってます型研究者」 とでもいうべきでしょうか。たしかによくあるタイプです。一方、“mopper-uppers”は“mop up”(落穂を拾う、残り滓を救う、負け試合を片付ける) からの造語と推測します。
挙がっている18人の「異なる業績」について、少しだけ追加します。まずデイヴィについて、デイヴィが「私の最大の発見はファラディだ」と述べているのは事実である一方で、少なくとも生涯のある時期、デイヴィはファラディの才に嫉妬して、妨害を図った証拠が大量にあるとの話があちこちに発表されています。
ベルナールについては、ここに挙がっている他に一酸化炭素と血液成分と結合して酸素との結合を阻止する事実の発見者としての重要性は落とせません。血液の酸素量測定に、一酸化炭素を利用して酸素放出を促しす方法を開発してもいます。また、エーテルが脳に効いて麻酔作用を発揮することも詳しく記述して、本を書いています(文献1)。
アイントーヴェンは、研究歴を視覚の研究で開始しており、しかもこのテーマを心電図発見後も長く追いかけ、この点はノーベル賞の紹介にも載っています。("http://nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1924/einthoven-bio.html") 日本でも、光学の専門家靍田氏が詳細に紹介しています(文献2)。それによると、赤と青の画面は同一平面にあるにもかかわらず赤が前に(進出色)、青が後に(後退色)みえる傾向があり、色の差によって角膜平面と水晶体で屈折が異なることによるという物理学と眼の生理学の問題と指摘したのがアイントーヴェンのようです。つまり、「錯覚」という脳の現象ではなくて眼の現象のようです。このテーマは有名な寺田寅彦氏も追試の実験を行って論文に書いており、現在でも未解決の要素も残っているようです。日本語の解説もやさしくはありませんが、ドイツ語の原論文を読むよりはわかりやすくてありがたい。

コムロウ氏の例を離れて
ついでに、コムロウ氏のいう「転換者」にあてはまるけれどここには述べられていない例を、私の知識で2、3 挙げます。まずフィックです。フィックを、私たちは生理学者として「フィックの原理の発見者」と認識して、これは40歳頃の業績(文献3)ですが、この人が実は「フィックの拡散の法則」の発見者でもあり、そちらは25歳頃の業績(文献4)です。この辺の事情は、筆者が別書で扱いました(文献5)。
次がデイヴィのところで名前の出たファラディで、ファラディというと「電磁気学」の業績があまりに偉大でその専門家と考えますが、研究者としての経歴をデイヴィの弟子として開始したのですから、当然のことながら化学の業績も大量にあります。ベンゼンの発見は純粋に化学の業績で、エーテルの麻酔作用の発見(文献6) もこの線でしょう。一方、電気化学に登場する「ファラディ定数」は「物質1 モルの荷電量」の表現ですから、化学と電磁気学の双方にわたる業績と言えるでしょうか。そういえば、岩波文庫の「ろうそくの科学」も化学と物理の双方を詳しく扱っています。
アインシュタインは相対性理論の他に、光量子の発見とブラウン運動の説明という大きな業績を特殊相対性理論の提唱と同じ1905年に提出しており、ノーベル物理学賞は光量子の発見に授けられています。
もう一人、多面的な才能を示した人としてポーリングを挙げましょう。化学物質の構造とくにたんぱく質に対するアルファらせんの提案などでノーベル賞(化学賞)を受ける一方で、鎌状貧血症のヘモグロビンの分子構造の異常を突き止めて「分子病」の概念を提案し、さらに核兵器廃絶のキャンペーンで二つ目のノーベル賞(平和賞)を受け、さらにビタミンC について最初は風邪の治療薬および予防薬としてキャンペーンをはり、さらにがんの治療に有効と唱え(文献7)、この動向は今も続いています。ちなみに、これに対してはコムロウ氏が「前向き、2重盲検によるコントロール臨床試験が必要」との注文をつけています。(文献8)
ところで、その著者自身もこのグループに属します。コムロウ氏は、科学政策面での提唱者・施設のオーガナイザー・雑誌編集者・エッセイストとして名高いけれど、研究者としての実績はあまり知られていないと推測します。しかし、実は頸動脈小体と同じ機能をもつ大動脈小体の発見という大きな業績を挙げていて、ありがたいことにこの論文はオープンアクセスになっていて自由に読めます(文献9)。

おわりに
最後に、「転換者」 (“switchers”) という用語に異を唱えます。この18人にしても私の加えた例にしても、「転換」の用語は不適切だからです。むしろ、仕事の発展として必然的に別の領域に「も」踏み込んだというべきで、「ネットワークが広がった」という考え方のほうが妥当です。その辺はコムロウ氏もわかってはいるので文章の意図自体には賛成ですが、それにしても"switch"でなくて別の用語を選ぶべきと私は結論します。内容を表現するなら、「拡張者」("Extender") でしょうか。

文献:
1. C Bernard ( B Raymond Fink 訳) Lectures on Anesthetics and on Asphyxia. 英訳本です。 Wood Library Museum, Park Ridge, Ill. 1989. 100ドル。
2. 靍田(鶴田)匡夫:進出色と後退色──寺田寅彦の小論文に触発されて──。靍田匡夫著:第7光の鉛筆──光技術者のための応用光学──。新技術コミューニケーションズ、東京、2006。495-519頁。
3. Fick A. Uber die Messung des Blutquantums in den Herzventrikeln. Sitzungs Berichte fur das Gesselshaft jahr 1870. ( Sitzung am Juli 1870.) Sitzungs Berichteder Physiologishe-Medizinishe Gesselshaft zur Wurzburg 1870;16:1. XVI-XVII
4. Fick A: Uber Diffusion. Ann Phys 1855;94:59-86. ("Phys"は"Physik"物理学。東京大学にマイクロフィルムがあります)
5. 諏訪邦夫著。血液ガスをめぐる物語 中外医学社.東京.2007.
6. Faraday M. Effect of inhaling the vapor of sulfuric ether. Q J Sci Arts. 1818. 4:158-159.
7. Cameron E, Pauling L. Experimental studies designed to evaluate the management of patients with incurable cancer. Proc Natl Acad Sci USA. 1978; 75:4538-4542.
8. Comroe JH Jr. Medical Sciences. Comment on "Experimental studies designed to evaluate the management of patients with incurable cancer" Proc Natl Acad Sci USA. 1978;4543.
9. Comroe JH Jr. The location and function of the chemoreceptors of the aorta. Am J Physiol 127: 176-191, 1939 (http://ajplegacy.physiology.org/cgi/reprint/127/)

表1 科学への貢献として知られている事項
ヘイルズ S Hales: 馬の血圧測定
デイヴィ H Davy: 肺の残気量測定
ギャロア J.J.C. LeGallois: 髄呼吸中枢の位置をウサギで確定
レンネック RTH. Laennec: 聴診器発明
ハッチンソン J Hutchinson: 活量を人で測定
ベルナール C Bernard: 動物の「内部環境の定常性」の概念確立
ベア P Bert: 人体に対する高圧と低圧の作用を研究
ブロイエル J Breuer:ヘーリング/ブロイエルの迷走神経反射の記述
ランドスタイナーK Landsteiner:ヒトで血液型を記述
アイントーヴェン W Einthoven:人体用心電計発明
ホールデン JS Haldane:二酸化炭素の呼吸中枢への作用の測定
クロー A Krogh:クロー型スパイロメータとマイクロトノメータの開発
フォンオイラー U von Euler: ハイポキシアの肺血管収縮作用発見
ヴァン=スライク DD Van Slyke: ヴァン=スライク法による血液ガス分析装置開発
グレアム E Graham: ヒトで最初の肺切除術
フェン WO Fenn: 換気力学の研究とO2 - CO2 ダイアグラムの開発
リリー J Lilly: リリー型窒素濃度計
ケティ S Kety: 脳血流量測定に亜酸化窒素を使用して測定法開発

表2 著名度は劣るが貢献の大きい事項
ヘイルズ:ウマの血圧測定以前にイヌの血圧も測定して発表。
植物の樹液圧の測定と蒸散の測定。
動物の血圧が痛み・恐怖・出血・呼吸停止などで影響されるとの記述。
左室容積・大動脈径の測定。心拍出量の推測。圧測定に水銀利用。

デイヴィ:亜酸化窒素の麻酔作用発見。炭坑の安全ランプ開発。
ナトリウムとカリウム発見、塩素が元素と発見。電離作用の記述。
デイヴィ自身は「私の最大の発見はファラディだ」と述べている。
「器用でなかったので失敗が多く、それが発見につながった」と述べている。

ギャロア:新生児が脳虚血に強いとの発見。
動物実験で、虚血に対し成ウサギは2分しか耐えないが、
新生児ウサギは15分耐えると記述。
生後直後から1ヶ月までのウサギでこの時間の短縮を詳しく記述。
冷血動物ではこの時間がさらに長いと記述。

レンネック:聴診+打診+臨床観察+病理解剖所見を関連付けて書籍として発表。
自分の発明した聴診器を見事に実用化した例。

ハッチンソン:「正常値」の確立。2070人の男女で(表3参照)。
10~65歳、各種の身長、胸囲などをチェックして肺活量を3回ずつ測定。
肺活量が身長に平行と発見。肺機能検査が疾患の診断に役立つことも証明。
スタミナと肺機能の関係も記述。

ベルナール:筋弛緩薬の作用点が神経筋接合部と決定。交感神経系の血管収縮発見。
グリコーゲン発見。生体動物で心臓カテーテル施行。
「実験医学序説」出版。劇作家でもあった。

ベア: 史上最初の「酸素解離曲線」記述。皮膚移植の研究。

ブロイエル:三半規管と耳石の研究は現在の解釈に導く。
精神医学特にヒステリーの領域の研究。催眠術の科学的応用。
フロイドとの邂逅。フロイドの説得で、一部を出版。

ランドスタイナー:Rh 血液型因子の発見は比較的よく知られている。
ポリオ病原体が「濾過性」であると発見。これが最初の「ウイルスの記述」。
ポリオをヒトからサルに感染させる実験に成功。

アイントーヴェン :気管支筋のトーンの研究論文(Pflugers Arch 1892)
テレメトリー開発(1906)

ホールデン:環境生理と産業生理領域。鉱山、トンネル、潜函、高山など。
沈没潜水艦からの乗員救助と、5百万ポンド分の金塊の回収に成功。
哲学者として著作多数:1883年(23歳)で「哲学と科学」
翌1884年「生命のメカニズム」出版。1913年「メカニズム:人生と個性」
1923年「自然科学と宗教」、1924年「生物学と宗教」、1929年「科学と哲学」
1931年「生命とは何か」、1932年「物質主義」を刊行。

クロー:亜酸化窒素の摂取で心拍出量測定(心臓領域)
一酸化炭素による肺拡散能測定法開発、
ノーベル賞は「組織の酸素需要と微細血流の調整」に与えられている。

フォンオイラー:1970年のノーベル賞は、神経伝達物質としてのノルエピネフリンの発見に。
しかもプロスタグランディンの発見者でもある。

ヴァン=スライク:アシド-シスの論文(I-XVIII)
アミノ酸の論文(ハイドロキシリジンを発見)
ピータースと共著の"Quantitative Clinical Chemistry”領域の「聖書」
60歳代まで研究継続

グレアム:当時の習慣に抗して、インターン終了後に2年間化学を学習。
麻酔薬の作用の研究、放射線非透過の薬物をつかって胆嚢造影に成功。
胆嚢機能の分析を可能に。

フェン:領域の開拓者で、同時にカリウムイオン代謝の研究の開拓者

リリー:コンデンサー型気圧計、リリー型気速計
神経生理学者に転じて感覚喪失の意義の研究、ヒトとイルカの交信の研究

ケティ:肺と血流と組織とのガス交換、冠状動脈血流測定、組織血流の部分的な分画

表3 (原論文の表2) ハッチンソンが肺活量測定の対象とした人たちのグループとその数
グループ:数.
船乗り(商船、サービス係り):121
ロンドン消防団員:82
ロンドン市警官:144
テームズ地区警官:76
ホームレス:129
各種グループ(職工など):370
手榴弾大隊:87
王立騎馬守備隊:59
陸軍新兵隊:185
海軍新兵隊:573
ボクサーとレスラー:24
巨人と侏儒:4
[身長:各210, 208, 105, 90cm]
新聞記者:30
印刷工:73
植字工:43
御者:20
女性*:26
紳士:97
病人:60

全数 :2130

* 女性についてハッチンソンは、「女性の肺活量はわからないし、測定もむずかしい。きつい服装をしているからである。」とコメントを付している。

 

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